なぜ南無妙法蓮華経と唱えるのか
唱題(しょうだい)とは、「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えることです。このサイトは、その唱題を記録するためのものです。
では、なぜこの七文字なのでしょうか。ここでは、この言葉が何を指しているのかと、唱題という実践がどこから始まったのかを説明します。
「南無妙法蓮華経」とは何か
この七文字は、二つの部分に分かれます。
- 南無 — 古代インドの言葉を音で写したもので、「帰依します」「よりどころとします」という意味です
- 妙法蓮華経 — 経典『法華経』の正式な題名です
つまり南無妙法蓮華経とは、法華経の題名に帰依するという言葉です。題名のことを「題目(だいもく)」と呼ぶので、これを唱えることが「唱題」と呼ばれます。
唱題を開いたのは日蓮大聖人
この実践を始めたのは、鎌倉時代の僧・日蓮大聖人です。1253年(建長5年)4月28日、安房国(いまの千葉県)の清澄寺で初めて南無妙法蓮華経を唱えたと伝えられています。この日が立教開宗の日とされています。
題目を唱えるという行為そのものについては、それ以前にも例があったとする見方があります。日蓮大聖人が独自だったのは、それを万人が仏になるための修行の中心に据えたことにあります。
何が「発明」だったのか
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
長大な経典を、七文字に収めた
法華経は八巻二十八品からなる長い経典です。全文を読むにも、書き写すにも、意味を学ぶにも、時間と学識と、それを許す暮らし向きが要ります。当時、それを持てた人はごく限られていました。
唱題は、その経典まるごとに向き合うことを題名を呼ぶという一点に集約したものです。長いものを短くしただけの省略ではありません。題名にはその経典の中身がすべて込められている、という考え方に立って、本体そのものへ直接つながる形として立てられています。
誰でも、どこでも、生活のなかでできる
結果として起きたことは、はっきりしています。修行の条件がほとんど無くなったのです。
- 読み書きができなくてもできる
- 寺に入らなくても、家でできる
- まとまった時間が取れなくても、短い時間からできる
- 身分も、財力も、年齢も問わない
「すべての人が仏になれる」というのは法華経そのものが説く教えです。日蓮大聖人がしたのは、それを教えの上だけの話で終わらせず、実際に誰もが取り組める一つの形にしたことでした。考え方を実践に変換したという意味で、これは発明と呼ぶにふさわしい仕事だと言えます。
続けることが前提になっている
唱題は、一度唱えて終わりというものではありません。日々くり返し、積み重ねていく実践です。
だからこそ、昔から唱えた量を数えるということが自然に行われてきました。唱題表のような、積み重ねを目に見える形にする道具が使われてきたのも、同じ理由からです。
このサイトができること
WEB唱題表は、その「積み重ねを見えるようにする」という一点だけを引き受けています。
唱えること自体は、道具が無くてもできます。記録は、続けるための補助にすぎません。それでも、積み上げたものが目に見えていると気持ちが続く——そのくらいの役に立てばと思って作っています。
この記事について
唱題の由来や意義については、宗派や研究の立場によって説明の仕方に違いがあります。この記事は、広く共有されている理解の範囲で書いたものです。教えそのものについて詳しく知りたい方は、メニューの「リンク集」にある御書検索などをご利用ください。