四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)について
・ 文: WEB唱題表 運営者
このサイトのトップページの「御文」に、二つの一節を掲げています。どちらも同じ御書、「四条金吾殿御返事」からのものです。ここでは、その御書がどんな手紙なのかと、二つの一節を紹介します。
どんな御書か
- 宛て先 — 四条金吾(しじょう きんご)。鎌倉に住む武士で、日蓮大聖人の門下の中心的な一人です
- 書かれた日 — 建治二年(1276年)六月二十七日。身延から送られました
- 五十五歳 — 日蓮大聖人がこの手紙を書いたときの年齢です
四条金吾に宛てた手紙はたくさん残っていて、その多くが同じ「四条金吾殿御返事」という題で呼ばれます。そのため、書かれた日付で見分けたり、中の言葉から取った別名で呼んだりします。この手紙は、本文にある経文の言葉から「衆生所遊楽御書(しゅじょうしょゆうらくごしょ)」とも呼ばれます。
書かれたころの四条金吾
四条金吾は、主君に仕える武士でした。このころの金吾は、主君から冷遇され、同僚からは嫉妬されて悩んでいたと伝えられています。主君との関係が悪くなれば暮らしそのものが立ち行かなくなる時代で、今のように勤め先を変えることもできませんでした。
この手紙は、そうした中にいる金吾を励ますために書かれたものです。だからこそ、読む人の暮らしの中の「苦しいとき」にも、まっすぐ届く言葉になっています。
一つめの御文 — 唱える以外の遊楽はない
一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり
「遊楽(ゆうらく)」とは、遊び楽しむこと、つまり幸福な状態のことです。続けて大聖人は、法華経の如来寿量品にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」という経文を引いています。この手紙の別名は、そこから来ています。
そして、その「衆生」の中に金吾もきっと含まれていること、「所」とは自分たちが生きているこの世界のことだ、と説いています。人生の本当の楽しみは南無妙法蓮華経と唱えることのほかにはなく、それはどこか遠くではなく、今いるこの場所で味わえる——苦しい立場にある金吾への、まっすぐな励ましです。
二つめの御文 — 苦も楽も、そのまま唱える
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。
苦しいことは苦しいと受け止め、楽しいことは楽しいと味わう。苦しいときも楽しいときも、そのままの心で南無妙法蓮華経と唱えていきなさい、という一節です。
- 自受法楽(じじゅほうらく) — 「自ら法楽を受く」と読みます。法楽とは、仏の覚りを味わう最高の幸福のこと。唱えるその人自身が、妙法の功徳を受け取るということです
- 強盛(ごうじょう)の信力 — 強く盛んな信心の力。最後は「いよいよ」と、さらに前へ進む励ましで結ばれています
苦しみを無理に打ち消すのでも、楽しいときだけ唱えるのでもありません。どちらもそのまま抱えて唱える——ここに、この一節の温かさがあります。
唱題を記録することとのつながり
「苦楽ともに」という言葉は、唱題を続けていくうえでも心強いものです。
調子のよい日もあれば、短い時間しか唱えられない日もあります。どちらの日も、唱えた時間をそのまま記録すれば十分です。記録は自分を責めるためのものではなく、苦しいときも楽しいときも積み重ねてきたことを、あとから目で確かめるためのものです。
- 唱題表の見本 — 唱えた分だけマスが塗られていく様子
- 唱題が続かないときに — 途切れたときの考え方
- トップページの御文 — この二つの一節を、ほかの御文と並べて掲げています