本文へ移動

四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)について

・ 文: WEB唱題表 運営者

このサイトのトップページの「御文」に、二つの一節を掲げています。どちらも同じ御書、「四条金吾殿御返事」からのものです。ここでは、その御書がどんな手紙なのかと、二つの一節を紹介します。

どんな御書か

四条金吾に宛てた手紙はたくさん残っていて、その多くが同じ「四条金吾殿御返事」という題で呼ばれます。そのため、書かれた日付で見分けたり、中の言葉から取った別名で呼んだりします。この手紙は、本文にある経文の言葉から「衆生所遊楽御書(しゅじょうしょゆうらくごしょ)」とも呼ばれます。

書かれたころの四条金吾

四条金吾は、主君に仕える武士でした。このころの金吾は、主君から冷遇され、同僚からは嫉妬されて悩んでいたと伝えられています。主君との関係が悪くなれば暮らしそのものが立ち行かなくなる時代で、今のように勤め先を変えることもできませんでした。

この手紙は、そうした中にいる金吾を励ますために書かれたものです。だからこそ、読む人の暮らしの中の「苦しいとき」にも、まっすぐ届く言葉になっています。

一つめの御文 — 唱える以外の遊楽はない

一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり

四条金吾殿御返事

「遊楽(ゆうらく)」とは、遊び楽しむこと、つまり幸福な状態のことです。続けて大聖人は、法華経の如来寿量品にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」という経文を引いています。この手紙の別名は、そこから来ています。

そして、その「衆生」の中に金吾もきっと含まれていること、「所」とは自分たちが生きているこの世界のことだ、と説いています。人生の本当の楽しみは南無妙法蓮華経と唱えることのほかにはなく、それはどこか遠くではなく、今いるこの場所で味わえる——苦しい立場にある金吾への、まっすぐな励ましです。

二つめの御文 — 苦も楽も、そのまま唱える

苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。

四条金吾殿御返事

苦しいことは苦しいと受け止め、楽しいことは楽しいと味わう。苦しいときも楽しいときも、そのままの心で南無妙法蓮華経と唱えていきなさい、という一節です。

苦しみを無理に打ち消すのでも、楽しいときだけ唱えるのでもありません。どちらもそのまま抱えて唱える——ここに、この一節の温かさがあります。

唱題を記録することとのつながり

「苦楽ともに」という言葉は、唱題を続けていくうえでも心強いものです。

調子のよい日もあれば、短い時間しか唱えられない日もあります。どちらの日も、唱えた時間をそのまま記録すれば十分です。記録は自分を責めるためのものではなく、苦しいときも楽しいときも積み重ねてきたことを、あとから目で確かめるためのものです。

WEB唱題表について

唱題した時間を記録するだけで、遍数への換算も月ごとの集計も自動で行います。唱題表のマスが少しずつ塗られていくので、続けた手応えが目に見えます。登録も利用も無料です。